失敗は大した失敗ではない

ちょっとした仕事上の失敗をした。
まぁ、俗にいう「ちょんぼした」というやつである。

取引先に指摘をもらい、親よりも年上の同僚&上司にサジェストとダメ出しをもらい、となりの課の担当さんに助け舟をもらい…とりあえず、絶対的に悪い、という情勢はさけることができたようだ。

「別に、難しく考えなくても、話しかけてくれたらええんやで」
そういってもらうのだけど、それはわかっているのだけどいざとなると声が出ない。

もっと早くにヘルプを言っていれば、ヘルプを言えない状況であることを言っていれば(だからそれが言えないんだって)とは思ってみても、時間が戻るわけでもなく、まぁ、仕方がない。ただ悔しさと情けなさと怒りなのかなんなのかわからない感情だけがとぐろを巻いてしまった。

帰りにいつもと違う道へ出て、いつもと違う本屋で目に付いたコミック(亜人ちゃんは語りたい1巻)を買い、いつもと違うルートで帰る。「でぃす×こみ」も「ダーリンは71歳」も星野源の新刊も100歳の精神科女医さんの本も目に付いた本は一通り買ってみたいがそこまでの余裕は私の今の財布にはない。

ついでに地下鉄の駅ナカ本屋へ。久しぶりに行くとキャラクターのフィギュアが飾られていた。
あ、写真撮り忘れたな。

目に付いた森博嗣センセの本を衝動買い。

夢とか目標を喪失していたのだから、こういう本を手に取ってレジに向かえただけで十分回復している。

帰り道に、手前の駅で降りて久しぶりに喫茶店へ。
茶店のマスターに「やらかしてしもうた」話をする。
誰かに話さないと抱えたままで眠るのはよろしくない。

やらかした話をして、世間話のあれやこれやと比べて、「それに比べたら小さいもんやで、それにナルシストは成功だけを覚えてるけど、普通の人間は失敗ばかり覚えてるから」というような話をきき、「あぁ、そうだよなぁ」と少し落ち着く。そうだよなぁ。普通の人やもん失敗もするよなぁ。今まで失敗が少なかったんだよなぁ。無意識に回避したりうまく誰かが露払いしてくれてるのに便乗したりしてたんだよな。

その失敗で身に染みて、次は失敗せんように気を付けよう、って思えた。

それをノートにもつけた。
時間の読みが甘かったのだから、次は時間に余裕を持たせる。
自分の能力を過信してはいけない。
ヘルプを求める、他人に助けを求めるのは甘えではない(それを甘えだとする人がいたり、自分でできないとダメだという変な思い込みとかつての自分がそれなりにできてしまう人だったので、そのことを否定したくないという気持ち都が入り乱れていたのだろう。だが、少なくとも2017年2月現在の自分は誰かのヘルプが必要な状態なのであるし、世の中のたいていの仕事はそうである。)
完璧を求めてはいけない。見直しは2回まで、それ以上は逆効果(目に付くアラを直すほど全体のデティールが崩れるか、自己で認識できない部分でそもそもの大枠が崩れている)60で自分の手を離せれば「上出来」とする。70点で世に出せたなら万々歳だ(それでもまだ要求水準が高すぎるかもしれない)

そういうことが分かったのだから、今日の失敗で自分は少し成長したんだな、と感じた。
気が付くのが遅い、とは思う。でもまぁ、いいじゃないの、気が付いたんだから。

ちょっと気分が楽になった。

ニュースによれば春一番が吹いたところもあるという。しんどい日もあるだろうけど、とりあえず、明日はがんばってみよう。

「失敗は失敗ではない」ってよく言われるけど、そういうことなんだな。