オープンソースから30年後の日本を考える…のはムリか。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080526/304047/?P=1&ST=oss
にて島根大学の講義の模様がのっけられている。まだ動画は見られてないけれども、細切れででも覗いてみよう。

こういうのを見ると20世紀型の物がいよいよ終焉に来たんだろうなと思う。

うちの恩師(30代助教)と話してて

て 「こういうの(京大とかMITの講義がYoutubeにのっかってる)をうちの大学でもやりませんかね」
助 「ってか、そうなると大学の存在意義自体ないよね」
て 「…」

ま、それは言いすぎだと思うのですが、「学費を払って」学校に行く時代は終わりつつあるのかも知れません。新しい形態としてPC+高速ネットがあればどこでも講義は受けられる。レポートをオンラインで出して、必要なときだけ(オフ会?)学校へ行く。

もちろん、研究のために実地(ラボ・文献・ヒトetc)に当たるのは必須ですが、大学卒業のため「だけ」に4年間費やす必要はなくて、それこそ、「大卒検定」でもやればいいんじゃないかと。その上で、ちゃんと(?)研究とかしたい人は学費を払って研究に行く。という形態になるのではないかなぁ。

(かといって、携帯で動画が見られるからそれで講義を聴いて携帯のメールでレポートを…ってのもなんだか違うと思う。ただ、今の10台はきっとそんなの全然抵抗ないんだろうな。)

それでも日本の「象牙の塔」は案外シツコイので、変わるのには2,30年かかるのでしょう。その間に「研究する大学」「社会人養成大学」のように色分けがされていって、それのどれにもなりきれない大学は淘汰されていくのかも知れません。


さて、30年後ということは今30の私は会社勤めなら定年、フリーランスならまだバリバリなころでしょう。会社にいた頃の実感として、いまの40台(バブル入社)がポストを一通り詰まらせちゃってるなぁと感じてたので、(多分この見立ては正しいと踏んでます)その40台が定年するまであと20年、その後に今の30代〜20代後半世代が裁量権を持って動かせるだけのリソースがこの国に残ってるか…すごく微妙。全部根こそぎ吸い尽くされて残りは皆疲弊してるとかいういまいちな未来をつい想像してしまう一方で、やはり高速道路を疾走したというかぬきんでた一部の人たちが引っ張る勢いに乗って新しい物を再構築していく事もデキルのかなとおもうし、願わくばそうでありたい。

いずれにしても再構築のためには一度壊す(少なくともある程度まで崩す)必要があるわけで。これから10年くらいはそういうしんどい時代なんだろうなと思います。

訳も分からずしんどいのは困りものですが、そういう時代で再構築のための崩壊(終わりの始まり)と思えばさほどはつらくないのかも知れません。