川田亜子アナの自殺に、この社会の行く末を思う(意外とポジティブ)

名前を聞いてもピンと来なかったが、「がっちりマンデー」の体当たりアナと聞いて納得した。
あの人が…なんというか、なんとかしてそれだけは避けていただきたかった。

だいだい、「どうしてあの人が…」って良く言われるんだけど、本人は必死になって「取り繕ってる」んだよね。世間に見せてる・世間が認める「元気な自分」や「良くできる人」と自分しかしらない素の自分のGAPを必死で埋めてる。埋め切れてるうちはいいが、埋めきれなくなるとうつになったりする。

知識では医者に行った方がいいと分かっていてもプライドとか世間体とかが邪魔をする。
そう文字通りの邪魔である。

こういうとき、派手に倒れて119ででも運ばれればそこで世間体の方が下に降りてきてくれるのでGAP自体は埋まって(一時的にショックは受けるにせよ、身体の安全という意味では)しめたものなのだが、下手に倒れず、影で倒れても表は倒れてないフリしてるとこういう形で「緊急避難のつもりが永遠の眠り」になってしまう。文字通りの脳の暴走である。

私の場合は影では1年以上何度も倒れていた。少なくとも倉庫で床に30分もへたり込んでるのを単なる居眠りとは言わないだろう。

ま、医者運も悪かったので仕方ないとは思うものの、今でも時々夢に出る。本社の8階(人事のある階)か事務所棟の4階か駅の1番線の先端か…どれも飛び込めば即アウトであるが、夢ではすんでの所でいつも助けが入る…否、誰かに見つかる。説得される。思いとどまる。

要するに、うつ病ってヤツにかかってるときは「誰かに助けて欲しい」のだ。誰かに助けを求められるような人はいいのだが、help弾を打ち上げるのをためらってしまうようなヤツだからこそ、その病に奥の方まで絡め取られてしまう。

私の場合は職場は失ったが引き替えに家族にhelpを打ち出せた。命はあった。家族は助けてくれた。友人が寄り添ってくれた。だからここまでやってこれたと思うしこれからもやって行けそうだと思う。ふがいないと思う部分は多々あれど、ようやく最近はそれもまた人間だよなとおもう。イタリアでは「神以外の人は皆障がい者である」という言葉があるのだそうだ。これで随分救われた。

日本だと、「健常者」に近づきましょうというニュアンスがちょっと入ってしまう。そうではなくて、みんなどこかしらなにかしらあるんだから、余りきにせずやっていきましょう、ってことなのだろう。この方がいかにもラテンらしいが、好感も持てる。

何より、自分の足りないところをそれも人間と認めた上で、では伸ばせるところはどこなのか、それを徹底的に伸ばしていけばいいのではないか、足りないところは誰かに手伝ってもらって、また自分ができるところは誰かの分を2人分やればいいじゃないか…そうやって得手なものが不足を補いながら回っていく社会とネットの社会というのは親和性が高いように感じる。

さて、川田アナの今回の事は本当に残念というか、悔しい。ただ、これから学ぶことがあるなら、「自殺するのでなく、医者に行って欲しい、誰かにhelp弾を打ち上げて欲しい」ということだ。

それだけ。今の世間というのは温かくもあり非情でもある。この話題とて、数日経てば流れていくだろう。でも、それを逆手に取れば、例え世間体がなにやら騒ぐとしてもほんの一時のことである。まして、一般人ならばほとんど気にも留められないはず。

そこに気がつければ少々世間体が悪かろう(実際はそう思ってるのは当の本人だけで、大抵世間体というものは存在しない)が、精神科医にかかることぐらいどうってことないのである。もしうつや尋常でない不安感で苦しんでる人がいたら、すぐにでも(夜なら明日朝一番に)電話帳で精神科医を調べて電話することだ。すぐに晴れるかどうかは分からないが、一人で悩むよりもいくらか(かなり)解決には近づくと思う。


なんだか訳の分からないエントリになってしまった。ただ、自分の中でのエネルギーはそれなりに発散させておきたかったので。ここまで読んでくださり、感謝。