やりたいこと、捨てること

http://d.hatena.ne.jp/green_summer/20080823
でなんとなく、惹かれることがあって、書いてみる。

「やりたいこと」は「やるべきこと」とは違います。

「やりたいこと」は「やらなくてもいいこと」なのです。

だからよほど強い意志を持って「やる」じゃないと、たいていの場合

時間とか、世のしがらみとか、そういうものが邪魔して

遂行するのは困難です。

「お主にとってやりたいこととはなんぞや」と聞かれたら、ちょっと困ってしまいます。

・レールマン(バスマン)にはもうなりたいとは思いませんし(少なくとも日本では、ね)。
 でも駅員さんのマネは(心の中で)してみますけどね。(コスプレで充分じゃん)
アキバ系もとりあえず、随分とのめり込まなくなりました。コミケは1回行ったけどもう1回行きたいようなもういいような。
・プログラムは興味ありますが、サンデーにやるほどでもありません。
(その割にはLAMPサーバとかNetCommonsとかXOOPSとかMovableTypeとかこわごわながら触ってるよね。嫌いじゃないけど(この「けど」がクセもの)、中に何をすえるかという中身がないのが悩みの種。つまりは純粋技術屋さんなのか??)
NPOもちょっとしがらみを感じてます。いや、世はなべてしがらみがあるものですが。
・学者の世界…うーん。研究とかアカデミックは好きです。でもそれでメシを食うのは何か…。でもでも博士号を持ってる人は実はうらやましい(せめて修士ぐらいは出ておいたらよかった…でもあの分野ではいやだな)いっそアメリカかヨーロッパあたりで取ってきますか。

ついでなので、行きたいところとかやりたいこととか自由に書き出してみる。
ブログでご披露というのもどうかと思ったが、ま、いいでしょう。いろいろなものを露出しておいた方が引っかかるものも多いであろうし。

・イタリア。行ってみたいし、住んでみたい。住むまで行かなくても年の半分くらいはあちらで暮らしたいかも。

タカコ・H・メロジーさんの本の影響かね。
[rakuten:book:11344967:detail]
ARIAにもかなりそそのかされてますが。

(部屋のカレンダーがARIAのだったりします。しかも去年のなんですが、絵が綺麗なので外す気になれない)
イタリアの食科学大学の先生の講義を同志社で聴いてからなのかも。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6
http://www.unisg.it/ita/index.php

http://sosei-si.doshisha.ac.jp/mt32/archives/2008/06/post-61.html
こういうのやってたんだ。行きたかったなぁ。(ってか、今里先生とこのブログはやっぱり要チェックだな)

・コネクター
これは最初の会社がそうだったんだけど、セクションがわりときっちりしてる中でもあちこち顔出してたのね。元々新卒でいきなり出向にされるくらいの変人(いい意味で)だったわけで。用事はないんだけど近くまで寄ったからとか言って経理とか政策系の部署とか他の営業所とか。それで情報交換とか言いつつお茶して。そういう人ってむだかもしれないけど、組織には一定割合必要と思うんだよね。

一つやり残したのは「若いやつ同士で言い合える場を作ること(仮称:00の会)」
SNSなんてない時代だったからやるとしたらML&リアルミーティングだったろうね。あ、これって自主勉強会か。結局遠慮して構想はしたけど作らないままに退社しちゃった。もったいねー。
今からやるとしたらなんだろう、コーディネータかね。会社という枠はなくなったので、自由にやれといわれると怖じ気づいてしまうのだけどそれでも人と人を繋いでいろいろアイデア出し合って新しいサービスとか作れたら(それでその組織なり、世の中なりがいい方向に向かうのなら)いいなぁと思う。

あぁ、それって社会起業家じゃないんですか。(やっぱりそうか)

とりあえず、英語とイタリア語。それからITがらみの腕はもう少し狭く深く掘ることかな。

でも生まれ変わったら今度こそ本当に宇宙飛行士目指しそうだし(爆)

やりたいことはが減るとは思えません。人間の平均寿命が70〜80歳と

したら、最低でも70までは全員が健康体でいられるのが普通(生殖機能含め)

じゃないといけないんだと思うんだよなぁ。

ま、平均値は70ということは正規分布で上が120とすれば下は20ですから。人間にいつあの世行きかなんて分かったもんではありません。私も母方の祖父は40代で癌死しています。病気もしましたし、実は一つよくわからないものをかかえています(医者も「触らぬ神にたたりなし」とのたまったできもの)。体調が悪いと腫れてくるのである意味無理しないようにリミッターが付いたのかも知れません(感謝)。

病気して一つ分かったのは死に対する(この年にしては割とまともだろうと思いますが)認識が出来たことでしょうか。漠然と考えていた自己の死というものを考えたときに「ま、のんびりやりましょう」というのと「1日を大切に生きましょう」というのが同時に湧いてきたように思います。なかなか100%実行できてるわけではないのですが、完璧主義もまた毒ですから、それはそれでいいのでしょう。

こうやって書き出してみるってのは意外と効果的ですね。
英語とイタリア語に関してはフォーカスできそうです。

3年後にはイタリアあたりからブログ書いてたりしてね。(意外とこれは現実事かも)