つらつらと終わったことを考えているときは何かと具合が悪いものです。(雑文・鬱文注意)

もう5年も前の失敗や8年前の記憶をほじくり出して動いてしまうのは調子が悪いときの典型的な挙動。
脳内の記憶というものをassasinできるならいいのですが,どうやらシナプスは逆に強化されているようで、やれやれです。

それでも、最近は通勤時に堂々とイヤホンで音楽を聴くようになり、映画も観に行くようになり、だいぶ回復している、否、re-bornしているのかなという気がします。

仕事のほうは失敗というか軽微なミスが多いです。いかんと思いながらも注意力が落ちているのか、以前に指摘されたことをまたやってしまったり、資料の順番を間違えたり(起案は案文、見積もり、参考書類の順なのですが、つい案文が1枚後ろに回ったりする)、ファイリング処理が出来なくなったり。

それでも、人格を否定されているわけではないので、それはそれと受け止めるようになったのは遅まきながら大きな進化でしょう。あたりまえですが、普通に怒られても人格否定というケースは少ないと思うのですが、某社勤務時の末期は欝でぐるぐるなってる最中に伝票と精算金の不一致(確か千円)をめぐって窓の狭い聴取室(が社内にあります)で調書を取られたりしてましたから。書記官が記録したのにサインと押印するわけですが、あれは精神的にこたえました。最後は中身も見ずにサインしてたなぁ。だから、被告人(というか被疑者)の気持ちはなんとなくわかります。いまだに夢に出てくるもんな。

閑話休題

こうかくと自慢のようでアレなのですが(ぉぃ)大学受験で落ちなかったんですね。後期でそこそこ難しいところ受けてたんですが通ってました。ただ、下宿するのが怖かった(お子様ですね。JRと御堂筋線1本で通えるだろうに)ので行きませんでした。氷河期の就職も希望業種に通ったし。ただ、それは裏返せば挫折がなかったということでもあって。普通なら失恋だの浪人だの反抗期だので挫折を味わうんですけど、それがなかった。17ぐらいのときに反抗期に反抗できなかったことについて漠然と「あぁ、これはいつか人生そのものに復讐されるな」と感じたのを憶えています。期せずしてそうなってしまっているのは苦笑するしかありません。あるいはこれでようやく真人間に戻る道筋がついたのかと思ってもみたりして。


京都に戻ったのはなんだかんだで正解だったと思うんですよ。ただ、いまだ余りにも周りの目を気にしすぎるというか、過剰適応なんだろうなと。もっと主張していいんですけどね。その仕方が偏ってるのか、やり方がわからないのか。わからないならわからないなりにやってみればいいんですけど。ツイッターとかでは多分普通。人ごみは苦手だけど少人数なら大丈夫なので、まぁ何とかなるかなと思っています。大敵は焦ること。急がば回れ、と自分に言い聞かせています。