センター試験の季節に思う

このところ、社労士&簿記2級の勉強のためガレリア(市立の総合学習センターみたいなところ)に行ってます。

ちょうど自由に使える部屋があるのですが、完全に自習部屋と化してまして、今日は始業式だったはずですが、昼からは結構な数の学生さんが来てました。彼らに混じって勉強しているとなんとなく進行も速いような気が、否、事実として勉強がはかどっています。


思うに、大学受験とか高校受験って、一番勉強する時期なんでしょうね。
受験勉強自体が役に立つかの議論はさておいても、脳のスポンジがふわふわに柔らかい時期に思いっきり知識を(マル覚えでもいいから)吸い込む、詰め込むというのはそれはそれで意味のあることだと思います。と同時に、レッドゾーンまで脳みその回転数を上げてやることも大事だな、と。これは卒業論文でもできなくはないですが、やはり強制される時期というのは必要悪のように思います。

N大助教授(いまは准教授?)の森博嗣さんが「脳みそもエンジンと同じで時々レッドゾーンまで回してやらないとイザというときに回らない」というようなことを著書の中で仰ってました。そういう意味では私は惜しいことをしたなぁと少し悔いているのです。高校時代に自分のできる範囲でしかやらなかった、絶対安全と言えば聞こえは良く、またそれは列車のATS(自動列車停止装置)のようなものでそれはそれで意味のあることなのだけど、やはりあの場面では安全すぎる策をとってしまったのだなと。

まぁ、しくじりがなかった[そのこと自体がしくじりなのだが]の帳尻は地元就職でなくIターン就職(都落ち)で合わせて、浪人も留年もしなかった帳尻もうつ病での超低空飛行で合わせたように思います。うつ(当時はまだ“病”でなかった)でダウンした当初に母が「あんたは進学も就職もストレートできたから、ここらでお鉢が回ってきたのだ。あせることない」と言うようなことを言ってくれました。そうだな、と思いつつも、3年かかってようやくとその言葉が腑に落ちるところまで来たのだなと思います。

ついでだから白状しておけば、「このままではいつか自分の人生に復讐されるな」という感じは10代の半ばからありました。いわゆる秀才・運動音痴タイプのいい子ちゃんでしたからね(自分で言うのもナンだけど)。でもやはりそれはレッドゾーンまで振り切ることが少なく、また小賢しく立ち振る舞ってしまう自分への嫌気と言ったものもありました。

ですから、まぁ、ここ3年ほどぐずったのは仕方ないかなとも思いますし、これでようやくバランスが取れたのかなとも思います。つまりはゼロ(ニュートラル)に戻ったのです。そしてその間に受け皿は大きくなってたのです。


今日は実は午前中ハローワークに行ってました。何となく自分の思う求人を探せるようになってきました。裏返すとこれまでは文字は見えてるけどもまるで気合いの入らない求職活動でした。それとは違う、非常に薄い膜だけどその膜を破って確実に何かが変わってるなと思ったと同時に、これは公式な記録に書いておこうとも思った次第。

珍しくやや長いlogになりました。と同時に10数年来の胸のつかえが下りたようでもあり安堵しているのも確か。
今夜はよく眠れそうです。